昭和の大スターとして現在でも多くの歌手に影響を与えている美空ひばり。
彼女の死因の真相について若い方はご存じない方も多いのではないだろうか?
また息子の加藤和也は実の子供ではないことも、今となっては知らない方も多いだろう。
ここでは美空ひばりの死因の真相や息子のことについて書いていきたいと思います。
美空ひばりのプロフィール
出典:Pinky
【名前】:美空ひばり
【読み方】:みそら ひばり
【本名】:加藤和枝(かとうかずえ)
【出身】:神奈川県横浜市
【生年月日】:1937年5月29日
【没年】:1989年(満52歳)
【活動期間】:1949年~1989年
美空ひばりの死因の真相
1989年6月24日に若くしてこの世を去った美空ひばり。
享年52歳での死にファンのみならず、多くの著名人も涙したのである。
そんな美空ひばりの死因は特発性間質性肺炎による呼吸不全の併発だと発表されている。
だがそこに至るには数々の病気との戦いや、荒れた私生活があったという。
”歌謡界の女王”と呼ばれた美空ひばりは、デビューする以前から歌が抜群に上手い女の子がいると評判だった。
わずか12歳でデビューすると天才少女歌手の名をほしいままにし、「リンゴ追分」「東京キッド」「真っ赤な太陽」などヒット曲を連発。
ただその一方で分刻みのスケジュールと休みのない毎日に、彼女の体は数々の病魔に侵されているのだ。
1987年4月に極度の体調不良で緊急入院すると、重度の慢性肝炎、特発性大腿骨頭壊死症と診断され3ヶ月半芸能生活を休んでいる。
肝機能の数値は通常の6割程度しか回復していない状態で、仕事に復帰した美空ひばりだったが、体調は日に日に悪くなる一方で翌年の東京ドーム公演では段差も1人で上がることができないほどだったという。
そこまで彼女の体が悪くなったのには、仕事での激務と寂しさを紛らわせるため酒に溺れていったことが挙げられる。
小林旭と結婚するも2年で離婚しそれ以降は独身だった美空ひばり。
もっとも活躍していた時期に両親や実の弟を次々と亡くし、精神的に追い詰められていった結果だった。
最後となったシングル曲「川の流れのように」をリリースした約半年後に亡くなったのであった。
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息子の加藤和也は実子ではない
出典:アメーバブログ
美空ひばりの息子として「マネーの虎」などのテレビ番組にも出演していた加藤和也。
だが彼は美空ひばりの実子ではない。
美空ひばりは小林旭と結婚しているが子供はいないのだ。
加藤和也は美空ひばりの実の弟である「かとう哲也」の息子であった。
若くして父親を亡くし、身内が次々と亡くなってしまった加藤和也には、美空ひばりしか肉親がいなかったのだ。
加藤和也が6歳の時に美空ひばりの養子となり、実の親子のように支え合ってすごしてきたのである。
加藤は現在でもひばりプロダクションの取締役社長として、ひばりの楽曲や映像の管理をしている。
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歌謡界の女王
圧倒的な人気を誇っていた美空ひばりだが、晩年は低迷期が続いている。
そんな中彼女のキャリアで最後となったシングル曲「川の流れのように」がミリオンヒットを記録し、歴代曲のなかでも「柔」に次ぐ大ヒットとなったのである。
実はその時のシングル曲の候補は「ハハハ」という曲だったそうだ。
だが、美空ひばりきっての希望で川の流れのようにをシングルにしてほしいとの願いがあったという。
さらにアルバムを出すインタビューの時に川の流れのようにがメイン曲であるという趣旨の説明をしたことで、スタッフがお慌てでシングル曲を入れ替えたというエピソードがあるという。
歌謡界の女王の女王としてまるで自らの死期が近いと悟った最後のわがままだったのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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