吉本興業の創業者である吉本せいさんは2017年10月2日より放送される朝ドラ『わろてんか』のヒロインモデルになっていることが話題になっている。
吉本せいさんの生涯や子供に孫などが話題になっているようですね。
今回は「笑いをこよなく愛した」吉本せいさんについて書いていきたいと思います。
吉本せいのプロフィール
【名前】:吉本せい(よしもとせい)
【出身地】:兵庫県明石市
【生年月日】:1889年12月5日
【没年】:1950年3月14日
【年齢】:享年60歳
【職業】:芸能プロモーター
吉本せいさんは兵庫県明石市の出身で、
米穀商を商っていた林豊次郎さんとちよさんの娘として出生しました。
吉本せいさんは男6人女6人の大家族だったそうです。
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吉本せいがモデルとなった作品
2017年10月2日より放送されるドラマ『わろてんか』ではヒロインのモデルとなっているのが吉本せいさんです。
そんな吉本せいさんがモデルとなった作品が過去にもあったようなので紹介したいと思います。
ドラマでは、
- 1960年 『花のれん』 主演・万代峰子
- 1966年 『横堀川』 主演・南田洋子
- 1984年 『心はいつもラムネ色』 主演・眞野あずさ
- 1988年 『にっぽん笑売人』 主演・小川真由美
- 1995年 『花のれん』 主演・宮本信子
- 2012年 『鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記』 主演・かとうかず子
- 2017年 『わろてんか』 主演・葵わかな
映画では、
- 1959年 『花のれん』 主演・淡島千景
- 1966年 『横堀川』 主演・倍賞千恵子
これだけの作品のモデルになっているのは凄いですね、
いかに吉本せいさんがすごい人物だったのかわかりますね。
また主演を務めている女優さんも有名な方ばかりで驚いています。
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吉本せいの生涯
米屋を営んでいた両親の手伝いをよくしていたという吉本せいさんは
持ち前の愛嬌もありお客さんの間では評判がよかったそうです。
その後、米穀仲買人の島徳蔵方の下で女中奉公として出た吉本せいは、
機転の良さと愛嬌で島徳蔵に気に入られ、特別待遇を受けていたそうです。
しかし他の女中仲間はこれをよく思わず、
挙句の果てにはいじめられるようになってしまったそうです。
そんないじめも流していた吉本せいを見て島徳蔵は商売ができる子だと思い、
商法のコツなどを吉本せいに伝授してくれたようです。
1910年に荒物問屋の息子の吉本泰三さんと結婚することになります。
これは両親の勧めが強かったそうです。
商業の才能があった吉本せいでしたが、
吉本泰三さんは芝居や剣舞に凝っており、商売をほったらかしにして家をあけることが多かったそうです。
そんな吉本泰三さんとは夫婦喧嘩も日常茶飯事だったそうで、
借金も膨れ上がり、家計は火の車だったそうです。
疲れ果てた吉本せいさんは、
「あんさん。そないに芸事がお好きやったら、ふたりでコヤ(興行する建物)を持ちまへんか」
と訴えたそうです。
これがきっかけで1912年に天満天神近くの『第二文芸館』で寄席経営を始めました。
こちらが当時の画像になります。
出典:日活
当初は出演してくれる人がいなかったそうですが、
吉本泰三さんのコネで無名だった芸人を出演させ、
入場料も一般より安く設定したおかげで大盛況したそうです。
この頃は無名だった芸人もここで名前が売れて
全国的に有名になった人もいるそうです。
1924年に夫の吉本泰三さんと死別してしまった吉本せいさんは、
弟の支えもあり事業を拡大していったそうです。
その後は東京進出し、弟の林弘高が東京吉本の社長に就任しました。
戦後の混乱で、寄席として経営するのが難しい時期もあったそうですが、
吉本せいさんは映画製作やラジオ放送など様々な分野に手を出して乗り切ったそうです。
1948年に社名を『吉本興業株式会社』に変え、
吉本せいさんは会長に就任し、
社長には弟の林正之助さんが就任しました。
芸人からは『おせいさん』という愛称で慕われていた吉本せいさんは1950年3月14日に息を引き取りました。
吉本せいの家系図(息子・孫)詳細!
『わろてんか』のモデルで吉本興業の創業者でもある吉本せいさんの家系図を紹介したいと思います。
また息子や孫についても分かる範囲で書いていきたいと思います。
まずは吉本せいさんの家系図の画像があったので御覧ください。
吉本せいさんの両親は林豊次郎さんと林ちよさんになります。
ここには書かれていませんが、吉本せいさんは12人兄妹の3女になります。
吉本興業に関わっているのが弟の林正之助と林弘高ですね。
そして夫の吉本泰三さんは泰三という通称を名乗っていましたが、
本名は吉本吉兵衛となっているようです。
そして吉本せいさんと吉本泰三さんの間には子供が8人いたそうです。
- 長女、吉本喜代子
- 次女、吉本千代子
- 三女、吉本峰子
- 四女、吉本吉子
- 五女、吉本幸子
- 六女、吉本邦子
- 長男、吉本泰之助
- 次男、吉本泰典
また吉本せいさんは子供は10人いたと証言しているそうで、
もしかしたら流産の経験もあるのではと考えられているそうです。
これだけ子宝に恵まれていましたが、
この中で成人できたのは三女・五女・六女・次男だけだったようです。
次男の吉本泰典は後の『吉本頴右(よしもとえいすけ)』に改名しました。
この吉本頴右さんは9歳年上の笠置シヅ子さんと交際していたそうですが、
吉本せいさんは2人の交際には反対していたそうです。
交際を反対していた理由はわかっていないようですが、
『笠置シヅ子さんが9歳年上だったから』
『吉本せいさんが芸能界の裏も表も知っていたから』
などといった諸説があるようです。
そんな吉本頴右さんと笠置シヅ子さんの間に子供が1人いたようです、
名前は亀井エイ子さんというそうで、
吉本せいさんの孫にあたります。
しかし吉本頴右さんは娘が生まれる数日前に亡くなってしまい、娘の顔を見ることができませんでした。
吉本せいさんは孫の亀井エイ子さんを引き取りたいと申し出たそうですが、
笠置シヅ子さん自身生まれてすぐに養子に出されてしまい、親の顔も知らずに育ったいた事から、
娘には同じ思いをさせたくないと、申し出を断りました。
吉本せいさんは吉本の血筋を守りたいという想いからお孫さんを引き取りたいと思ったんでしょうね。
いかがだったでしょうか?
吉本せいさんの生涯や家系など調べれば調べるほど深いものでした。
次の朝の連ドラ「わろてんか」は吉本興業の創業者の吉本せいをモデルにしてるそうです。大阪の女性起業家ということで、大同生命の創業者をモデルにした「あさが来た」の路線ですね。夫が道楽者で主人公が経営に乗り出さざるを得ないという共通点もあるようです。
— 小林泰三(作家) (@KOBAYASI_yasumi) September 18, 2017
朝ドラ『わろてんか』
もしかして吉本興業創業者ご夫妻のお話かな?と思って調べたら、やはりそうですね。
吉本せいさんは朝ドラ『心はいつもラムネ色』で真野あずささんが演じてらして、とても印象深い方。
あのドラマのテーマソングは美しくて優しくて、大好きな曲だった。— ドルチェ (@ladivano1) September 18, 2017
そんな吉本せいさんがモデルとなっているドラマ『わろてんか』を見るのが楽しみになってきますね。
最後まで読んでいただきありがとうございます
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