KaoRiの画像

アラーキーこと荒木経惟のモデルとして活動していた、ダンサーのKaoRiさんが長年セクハラ行為を受けていたことを記事で公表しました。

また、それに呼応してモデルの水原希子さんも、過去に受けたセクハラ行為を告発したのです。

グラビア界でも大御所とされている荒木経惟ですが、この告発で大きな非難の声にさらされることになりそうです。

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KaoRiさんの告発内容

ダンサーのKaoRiさんがnoteで、「その知識、本当に正しいですか?」というタイトルで、荒木経惟から受けたひどい仕打ちの数々を告白しました。

その内容は、ミューズと呼ばれるパートナーになった経緯や、荒木経惟との関係、撮影内容についての同意書がなかったこと無断で写真集が出版されたこと報酬がほとんど支払われなかったことなどが赤裸々に綴られています。

また、脅迫に近い形で、荒木経惟へ名誉毀損などの行為をしないという、同意書にサインをさせられたこともあるのです。

精神的に疲れたKaoRiさんは、改善を求める手紙を送るも、数ヶ月間放置され、挙句の果てには突然モデルをクビされていたのです。

ダンサーとして日常を送っていたKaoRiさんでしたが、世界中で「#metoo」によるセクハラ行為が告白されていることに勇気をもらい、告白するに至ったのです。

これから、自分のような被害者を出さないために、モデルの方への注意点なども挙げられており、その職業の方はぜひご一読ください。

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KaoRiさんについて

KaoRiの画像

出典:vogue.co.jp

【名前】:KaoRi

【本名】:非公表

【年齢】:非公表

【出身地】:非公表

KaoRiさんのプロフィールについては、ほとんどが公表されていないのが現状です。

ですが、荒木経惟のモデルを16年続けていたと告白していることから、少なくとも32歳より年齢は上なのではないかと思われます。

ダンスは幼少期から習っており、ロシア・バレエ・インスティテュートにてボリショイバレエ学校のロシア人講師に学んだ経歴を持っています。

その後、ネオクラシックスタイルのバレエを習うべく、スイス留学を経験。

パリの学校での出会いがきっかけで、アメリカに渡り、本格的に「コンテンポラリーダンス」と呼ばれるダンスの道に進みます。

そんなKaoRiさんのダンス動画がこちら。

2012年下北沢に「フリーダ・ボディメイク・スタジオ」を開講し、ダイエットやボディメイクのコーチとしても活躍。

2016年6月からは「ミクロコスモス舞踊研究所」に改名し、ダンスのコーチとして幅広い年齢の生徒さんに教えています。

また、現在は芸能関係の振り付けや演出などの指導、自身もモデル・女優として幅広く活躍している人物です。

所持している資格

ジャイロキネシス認定トレーナー

▪バランシングチャクラ認定セラピスト

▪レイキマスター&ティーチャー

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荒木経惟について

荒木経惟の画像

出典:twitter

【名前】:荒木経惟(あらきのぶよし)

【ニックネーム】:アラーキー

【出身】:東京市下谷区三ノ輪

【生年月日】:1940年5月25日

【年齢】:77歳(2018年4月現在)

【尊敬する人物】:岡本太郎

【デビュー】:1964年

【妻】:青木陽子

アラーキーの愛称で有名な写真家であり、現代美術家である荒木経惟。

独特の髪型と、丸い形で黒メガネがトレードマーク。

実家は下駄職人だったアラーキーですが、同時に近所でも有名なアマチュアのカメラマンだったそうです。

その影響で、カメラマンになることを決意したのだとか。

 

東京都立上野高等学校から千葉大学を経て、電通にカメラマンとして就職。

写真家として活動を開始した荒木経惟は、発行点数が圧倒的に多く、400冊以上も出版している人物です。

1971年には、当時電通の同僚だった青木陽子さんと結婚しています。

青木陽子さんの画像がこちらです。

荒木経惟の嫁画像

出典:ツイッター

しかし、1990年に子宮肉腫のため、42歳の若さでこの世を去ってしまうのですが、妻を撮影した写真集を出版し、世間に大きな衝撃を与えているのです。

 

その時の写真集がこちらです。
荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-

 

また、写真活動以外にも、1981年公開の映画「女高生偽日記」の監督を務め、映画「東京日和」では役者として出演しています。

 

2013年に前立腺がんに影響で、右目を失明してしまうも、写真家としてさらに活動の場を広げています。

1940年 東京市下谷区(現東京都台東区)三ノ輪生まれ。
1959年 東京都立上野高等学校卒業。(高校の同期に立花隆と東八郎の夫人がいる。)
1963年 千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、電通に宣伝用カメラマンとして就職。
1964年 写真集「さっちん」にて、第1回太陽賞受賞。荒木の名を世に知らしめるきっかけとなった。
1971年 同じく電通に勤務していた青木陽子と結婚。
1972年 電通を退社。フリーになる。
1974年 東松照明、細江英公、森山大道、横須賀功光、深瀬昌久らと「WORKSHOP写真学校」の設立に参加。
1988年 安斎信彦、田宮史郎と事務所「AaT ROOM」設立(三人の頭文字から命名)
1990年「写真論」「東京物語」にて第2回写真の会賞受賞。
1992年「空景/近景」にて第4回写真の会賞受賞。
1999年織部賞を受賞。
2008年 オーストリアより科学芸術勲章を受賞。
2011年安吾賞を受賞。
2013年毎日芸術賞特別賞を受賞。

引用:Wikipedia

荒木経惟の作品はこちらです。

▶写真集 情事 /荒木経惟
▶月刊奥菜恵special / 荒木 経惟
▶荒木経惟写真全集(第3巻) 陽子 荒木経惟
▶荒木経惟写真全集 (第4巻) 荒木 経惟
▶荒木経惟 Arakinema KaoRi 色淫女

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水原希子さんもセクハラを告白

水原希子の画像

出典:J-CASTニュース

KaoRiさんに続いて、モデルの水原希子さんも荒木経惟のセクハラ行為を告白しています。

その内容は撮影現場で、裸の撮影を強要され20人以上の男性に見られながら撮影したことなどを暴露しています。

水原希子の告発 水原希子の告発

出典:インスタグラム

最後には「荒木さん、あなたにとって女性とは一体何なんですか?」と書かれており、アラーキーに対しての深い怒りが伺えます。

「ある企業の広告撮影」と書かれていますが、おそらく資生堂の手ブラ撮影の時のことを指しているのではないでしょうか?

20代前半というと、1990年生まれの水原さんが20歳~24歳辺りまで。

水原さんは、2013年に22歳で資生堂の広告塔に抜てきされています。

▶水原希子の資生堂手ブラ画像

この写真はとてもかわいく、ネット上でも評判の写真ですが、この周辺に男性が20人以上いたと考えると、「なぜ?」と思うと同時に、気持ち悪い撮影現場だといえます。

水原希子さんは、資生堂のCMに2011年から出演しており、これがブレイクするきっかけになったので、当時は言い出すことができなかったのではないでしょうか?

この投稿は、24時間で消える「ストーリー」と呼ばれる機能で投稿されています。

水原希子さんは、過激な内容のフォトブックも出版していますが、撮影時に男性に囲まれるのは我慢ならないことでしょう。

水原希子さんのフォトブックはこちら。
▶水原希子×蜷川実花フォトブック

KaoRiさんの問題の画像

16年間荒木経惟のモデルを務めたKaoRiさんが、撮影された写真とはどのようなものだったのでしょうか?

ネット上には複数枚出回っていたので、その一部を紹介したいと思います。

▶KaoRiさんの過激な画像①

▶KaoRiさんの過激な画像②

▶KaoRiさんの過激な画像③

▶KaoRiさんの過激な画像④

▶KaoRiさんの過激な画像⑤

KaoRiさんの「色淫女」DVD

インスタフォロワー数が、500万人近い水原希子さんが声を上げたことで、今後、荒木経惟のセクハラ告発はさらに大きい問題に発展していきそうです。

被害に遭った女性モデルも数多くいることが予想され、各方面から告発が相次ぐかもしれません。

そうなった時、荒木経惟はどのような弁解をするのでしょうか。

いずれにしても、昭和に許されていた女性軽視の風潮は、今後は通用しないことを分からせる意味でも、声を上げる女性が更に増えることを願います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。