天城山心中事件が2017年12月1日に放送される『爆報フライデー』で特集されることで話題になっていますね。
事件が起きたのが60年前ということで知らない人も多いのではないだろうか?
ここでは天城山心中事件の詳細や事件の真相にストーカー殺人の可能性について調べていきたいと思います。
天城山心中事件の詳細
出典:昭和毎日 - 毎日新聞
事件が起きたのが1957年のことです。
当時20歳だった大学生の大久保武道(おおくぼたけみち)さんと同級生で当時19歳だった愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)さんが伊豆にある天城山で2人の遺体が発見されました。
2人は12月4日から行方がわからなくなっており、天城山方面に向かったという周りの証言から捜索を行ったところ、
12月10日に心中している2人の遺体が発見されました。
遺体の様子は慧生さんが大久保さんの腕枕をしていながら横たわっていたそうです。
自殺に使ったとされる拳銃は旧陸軍14式短銃で先に慧生さんを撃った後に、自身も自殺したと見られています。
2人の爪や頭髪などが白い紙に包まれた状態で、近くの木の根元に埋まっていたということで、
2人は一緒に心中したと見られています。
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愛新覚羅慧生の生い立ち
愛新覚羅慧生さんは映画『ラストエンペラー』の監督として有名な『ベルナルド・ベルトルッチ』の姪で、父親は元満州国皇帝の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)である。
愛新覚羅慧生さんは1983年2月26日生まれで、『智慧(ちえ)深き人間に育つように』という願いが込められてつけられた名前だそうです。
5歳から両親の元を離れた愛新覚羅慧生さんは横浜にいる祖父に引き取られて、幼稚園から大学まで学習院に通っていました。
学習院女子部を卒業した愛新覚羅慧生さんは学習院大学の国文科に進学しました。
将来の夢について愛新覚羅慧生さんは、
「学校をおえたら、私は日本に残り、日中文化の交流につくしたいと思うわ」
と話していたといいます。
そんな中で出会ったのが大久保武道さんでした。
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大久保武道の生い立ち
大久保武道さんは青森県八戸市の素封家に生まれました。
父親は南部鉄道常務取締役をしており、参議院に立候補したこともある人物である。
八戸高校から学習院大学に進学した大久保武道さんは、新星学寮に入りました。
入学して時から大久保武道さんは愛新覚羅慧生さんのことを意識していたといいます。
そんな2人が交際するようになったのが1956年6月になりますね。
交際してから愛新覚羅慧生さんの家を訪ねた大久保武道さんでしたが、
相手側からの印象はあまり良くなかったようです。
一度は別れ話を切り出すなど、交際があまり上手くいっていなかったようですが、
1957年2月には2人だけで結婚することを約束したそうです。
事件の真相…
伊豆日日新聞より。
世間を賑わした天城山心中から60年。
身分違いの恋、寄り添った最期の命、美しくセンセーショナルに全国報道後、心中ブームに。
聖地よろしく天城山では、のち3年ほど自殺者が続いたと、当時を知る方の声も載っていました。真実は、いかに。 pic.twitter.com/k1CPPdWnT1
— ぽかとか⚐ (@POCATOKA) November 29, 2017
さて、婚約も約束した2人でしたが、愛新覚羅慧生さんの家族は
大久保武道さんとの交際はよく思っていなかったそうです。
一方大久保武道さんは家庭環境が複雑になっていて、日頃から「自殺したい」と口にするほどでした。
また思い込みが激しく、嫉妬深かったようで、愛新覚羅慧生さんが他の男性と話しているだけで
相手の男性に喧嘩をふっかけたりすることもあったそうです。
大久保武道さんがクラスで孤立しているということもあり、
愛新覚羅慧生さんは友達をもっと作ったほうが良いと、2人で会う回数を減らすことを提案しました。
12月1日に風邪を引いてしまった愛新覚羅慧生さんは、
家で寝込んでいると、大久保武道さんから電話がかかってきました。
電話を切った愛新覚羅慧生さんは、自由が丘まで友達と会ってくると言って家を出たそうです。
そして12月4日に登校するといって家を出た後、行方不明となりました。
前日には身の回りを整理していたということで、もしかしたらこの時には心中を決めていたのかもしれないですね。
2人はタクシーで天城山方面に向かった2人は帰らぬ人になってしまいます。
ストーカー殺人の可能性が周囲の証言から判明?
1957年の今日は、天城山心中事件が発覚した日。天城山で、「ラストエンペラー」こと愛新覚羅溥儀の姪である愛新覚羅慧生と級友の大久保武道のピストル心中遺体が発見された。https://t.co/MJ1siSxuJ3 pic.twitter.com/i6HyjsC16u
— 【大阪公立大学】OMU世界史同好会 (@OMUWorldHistory) December 10, 2015
当時は『天国に結ぶ愛』として報道された天城山心中事件ですが、
周りの証言からストーカー殺人の疑いも浮上しているようです。
婚約の約束をした2人でしたが、その後も喧嘩が絶えなかったこともあり、
愛新覚羅慧生さんの方から婚約を解消したいと切り出したそうです。
大久保武道さんは話をごまかして交際がダラダラと続きました。
また2人が失踪前日に会っていた時に大久保武道さんは拳銃で愛新覚羅慧生さんを脅していたという証言も出てきています。
大久保武道さんは自殺する決意が堅かったようですが、愛新覚羅慧生さんは何度も説得を試みたといいます。
またタクシーで天城山方面に向かっている最中も運転手に帰りのバスを聞いていたということで、
愛新覚羅慧生さんは自殺をする気はなかったのではないかという見方もある。
最後まで自殺を説得したが、大久保武道さんの決意を変えることはできずに、
最後は無理心中したのではないかという考え方もありますね。
真相は2人にしかわかりませんが、周りの証言から大久保武道さんにストーカー気質があるのではないかと思われる証言が多いことから、
純愛を貫いた心中ではなく、無理心中ではないか思ってしまいます。
とても悲しい事件ですが、死んでしまっては何も残らないのではないだろうか?
最後になりますが大久保武道さんと愛新覚羅慧生さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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