落語家の桂歌丸さんが81歳で亡くなったのは7月2日のこと。
弟子の桂歌春さんが、生前弟子の前だけに見せた出来事を告白し話題になっております。
桂歌春さんの告白内容とは何だったのでしょうか?
桂歌丸さんの訃報
ORICON NEWS:桂歌丸さん、最期に見せた弱音 弟子の桂歌春が告白「とてもつらかった」 - 毎日新聞 https://t.co/djB1AxbtwX
— ちよ坊 (@halchiyon) July 3, 2018
落語家の桂歌丸(かつら・うたまる、本名:椎名巌=しいな・いわお)さんが2日、慢性閉塞性肺疾患のため横浜市内の病院で亡くなったことを受け、歌丸さんが生前に会長を務めていた落語芸術協会の会長代行・三遊亭小遊三、歌丸さんから『笑点』の司会を引き継いだ春風亭昇太、弟弟子の桂米助、総領弟子の桂歌春が3日、都内で会見を行った。亡くなる2ヶ月近く前まで高座に上がり、噺家としての生涯を全うしてきた歌丸さんの最期の様子をそれぞれの立場から語った。
引用:ORICON STYLE
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桂歌春さんが告白
桂歌春さんは病気と戦っている桂歌丸さんが、弟子の前だけに見せた弱音を告白しました。
総領弟子という立場から歌丸さんを見てきた歌春は「歌丸はとても意思が強くて、運が強くて、芯も強い師匠だと私はずっと思っていました。ですから、苦しい時でも見舞客に対しては『苦しい』とか『痛い』とかの弱音を吐くことはめったになかったんですけど、さすがにその危篤を過ぎて意識が回復して、苦しいのが実感するようになってくると『苦しい、楽にしてくれ』と言っていました。そういう時に『そういうこと言ったらダメですよ。まだ、お客さんが待っているんですから頑張りましょう』と言ったんですけど、その言葉がとてもつらかったですね」と率直な思いを吐露。その上で、こう続けた。
引用:ORICON STYLE
酸素チューブを付けて番組に出演する姿はなんども放送されていましたが、歌丸師匠は「恥ずかしい」と嫌がっていたそうです。
そこで桂歌春さんは師匠に対して「酸素チューブをつけてでも高座に上がるのはファンを勇気づけるはずです」と説得し「そういうものなのかな」と素直に受け入れたそうです。
また、4月29日に危篤状態になった時には、弟弟子のヨネスケさんが大きな声で「師匠!ヨネスケですよ!」と声を掛けると意識を取り戻し、「臨死体験をした、誰かがやたら大きな声で叫んでいたので戻ってきた」と話していたといいます。
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桂歌春のプロフィール
出典:こども落語全国大会
【名前】:桂歌春(かつらうたはる)
【出身】:宮城県
【生年月日】:1949年9月9日
【年齢】:68歳
【活動期間】:1970年~
【出身高校】:宮城県立延岡高等学校
1970年10月 2代目桂枝太郎に入門、枝八を名乗る。
1972年4月 前座になる。
1976年4月 二つ目に昇進。
1978年3月6日 師匠枝太郎が死去。
1979年3月 歌丸門下に移り「歌はち」と改名。
1985年9月 真打に昇進し、桂歌春と改名。
1986年9月 第29回国立演芸場花形若手演芸会新人賞銀賞(「大工調べ」で)。
2005年3月 落語芸術協会監事就任。
ネット上の反応
「本当に全部から解放されて『師匠、お疲れ様でした』という言葉を最期にかけました」と桂歌春さん。 #桂歌丸https://t.co/XARlJiOqn4
— 毎日新聞 (@mainichi) July 3, 2018
田代沙織、歌丸さんは「頭に育毛剤をかけマッサージしてました」
桂歌丸さん(享年81)が慢性閉塞性肺疾患のため死去した2日、一番弟子の桂歌春の長女で、孫弟子にもあたるタレント、田代沙織(33)は「父を通じてたくさん落語を教えていただきました。昨年夏にご自…https://t.co/NOGYFPdmDB— 明日の話題 (@ashitano_wadai) July 3, 2018
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