みなさん、こんにちは。

今回は女優の「浅丘ルリ子」さんについて書いていきます。

 

 

1月30日放送の「徹子の部屋」に浅丘ルリ子さんが出演されます。

 

浅丘ルリ子さんの若い頃が、現在の若い方が見ても美人だと評判です。

家族構成や子供や元旦那、自宅の住所がどこなのかも書いていきます。

 

 

それではどうぞ!

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浅丘ルリ子のプロフィール

 

プロフィール

【名前】:浅丘ルリ子

【読み方】:あさおかるりこ

【出生地】:満洲国・新京

【出身地】:東京都千代田区

【生年月日】:1940年7月2日

【年齢】:82歳(2023年2月現在)

【身長】:156cm

【血液型】:A型

【趣味】:ビーズ工芸、ガラス工芸品収集、相撲観戦

【特技】:クラシックバレエ

【職業】:女優

 

1940年生まれの浅丘ルリ子さんは現在82歳です!

この年齢までお元気で芸能生活を続けているのは、本当にすごいことだと思います。

 

浅丘ルリ子さんの本名は「浅井信子(あさいのぶこ)」さんといい、デビュー作の役名「ルリコ」と「緑はるかに」が「丘」のイメージだったため、芸名が浅丘ルリ子に決まったそうです!

 

浅丘さんの分かっている学歴は

 

・千代田区立今川中学校

・菊華高等学校(中退)

 

健康法として毎朝「ストレッチとチベット体操」を続けているそうです!

また、少食で食事は1日2食を食べていて、妹さんが栄養バランスを考えたメニューを考えてくれるんだそうです。

 

花粉症ではなかったそうですが、70歳で花粉症になってしまったそうです。

 

それでは続いて、浅丘ルリ子さんの経歴や若い頃の画像を見ていきましょう!

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浅丘ルリ子の経歴と若い頃の写真

 

1940年7月2日に満洲国の「新京」で誕生した浅丘ルリ子さん。

父親は満州国の経済部大臣秘書官を務めていた人物であり、4人姉妹の次女として生まれています。

 

本名は「浅井信子(あさいのぶこ)」と言います。

 

幼い頃は歌手の「美空ひばり」に憧れを持っており、自分も歌手になりたいと思っていたそうです。

終戦すると満州国からの引き上げが始まりましたが、日本行きの先に出た船が沈没するなど命からがらの帰国でした。

 

 

東京都千代田区の「今川小学校」に入学すると、新聞小説「緑はるかに」の映画化を知ります。

 

この映画のヒロイン「ルリコ」役のオーディションが行われることを知り、演技経験が全く無いながらも応募します。

 

挿絵を担当していた「中原淳一」さんの猛プッシュで、総応募数3000人以上の中から見事に選ばれました。

 

 

1955年に公開された映画のヒットもあってたちまち人気女優として多くの作品に出演します。

最も忙しい時期は、1年間で16本もの作品に出演した年もあったといいます。

 

高校は菊華高等学校(現在:杉並学院高等学校)に進学しますが、仕事が多忙で登校する時間が全く作れず、中退をしています。

 

 

1958年には「日本映画製作者協会」の新人賞を受賞し注目を集めています。

 

1962年には映画「愛と死のかたみ」で映画・ドラマ舞台通じて初めての主演に抜擢。

 

1968年には「ゴールデンアロー賞」で大賞を受賞し、翌年には同賞で「グラフ賞」を受賞。

1970年には「放送批評家賞」でギャラクシー賞を受賞しています。

 

 

その後も数々の作品に出演された浅丘ルリ子さん。

映画出演本数は合計で150本以上だといいます。

 

俳優の高橋英樹さんは、日活時代の後輩であり、弟分だといいます。

1960年代には石原裕次郎さんと多くの作品で共演した。

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結婚した旦那や子供は?

 

浅丘ルリ子さんは1960年20歳くらいの頃に、歌手で俳優の小林旭さんと交際していました。

長らく同棲していたため「事実婚」状態の関係でしたが、結婚に至ることはなかったといいます。

 

浅丘さんがデビューしてから3年後、わずか17歳時に小林旭さんが一目惚れ。

また浅丘さんも小林さんに一目惚れしていたそうで、この話をお互いにし運命の人だと感じて毎日一緒にいる仲だったそうです。

 

 

22歳の時には小林さんとの結婚の話もありましたが

 

「あの子はまだ女優をしていかなきゃならないので、今は結婚させられません」

 

といわれ父親の反対で破断となってしまったのです。

その後に離別し一時生活が荒んでいったといいます。

 

石原裕次郎さんの助力で元の生活を取り戻した浅丘ルリ子さん。

 

その後1971年に俳優の「石坂浩二」さんと結婚を発表します。

浅丘ルリ子さんが30歳、石坂さんが29歳での結婚でした。

 

 

石坂浩二さんとの出会いはテレビドラマ「2丁目3番地」での共演でした。

撮影中はいつも石坂さんがそばにいたことで

 

「この人私のことが好きなんだわ」

 

と感じていたそうで、ドラマの撮影が終わると結婚を申し込んできたそうです。

 

結婚を決意した理由として

 

「当時私は30歳で、「そろそろ結婚してもいいかな」と思っていたし、石坂さんは、「あなたは女優だ。結婚しても仕事を選んで女優を続けてください」と言ってくれましたから。それに彼は趣味が多彩で、とても博学でしたから。 一緒になれば自分を磨くことができて、高めていくこともできると思ったんですね。」

 

と語っていました。

 

ですが、結婚してから5年が経過した頃に、2人は別居生活をすることになります。

その理由は石坂浩二さんが「アトリエを持ちたい」と言い出したことだったそうです。

 

その言葉で浅丘ルリ子さんは

 

『ああ、そういうことなのね……』

 

とピンときたといいます。

 

石坂さんには彼女がいて、何度か無断での外泊もあったというのです。

決定打となったのは石坂さんから

 

「いつも家にいてくれる人と一緒になって、子供もほしい。母も引き取って一緒に暮らしたい』

 

と言われたことに、最初は同様しましたが「女性の影を確信」して最終的には離婚を承諾したそうです。

 

離婚会見でも記者からの質問で、別の女性についての質問が飛びましたが石坂さんは

 

「いえ、そういうことではありません」

 

完全否定をしていました。

しかしその離婚会見からわずか5日後に、石坂さんが結婚を発表。

 

 

結果的には女性がいたということなんですが、最後までその話をしなかったことについて浅丘さんは

 

「女性の存在を最後まで否定し続けたのは、彼の私に対する思いやりであり、優しさだと今でも思っています」

 

と話し、結婚生活は幕を閉じました。

 

子供について調査しましたが、浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんには子供はいません。

お互い売れっ子同士で芸能活動を優先させてきたため、子供がいなかったのですが後に浅丘さんは

 

「一番残念なのは1人でもいいから子供がほしかったな…」

 

と少し声を震わせながら、本当は子供が欲しかったことを吐露しました。

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浅丘ルリ子の自宅はどこ?

浅丘ルリ子さんの自宅は東京都渋谷区にある高級分譲マンションです。

 

具体的な住所はプライバシー保護のため差し控えますが、近所では浅丘さんがウォーキングする姿が目撃されています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、浅丘ルリ子さんのプロフィールや経歴、若い頃の美人写真、結婚や離婚した元夫、子供について書いていきました。

 

生まれたのがまだ戦争中で、様々な事に振り回された幼少時代でした。

 

ですが、いつ命を落としてもおかしくない状況でも生きていたのは、日本の芸能界のスターとして輝くことが運命付けられていたのかもしれません。

 

結婚歴は1度だけですがその後は恋愛も報じられていて、中には38歳の年下のイケメン俳優との熱愛まであったんです!

 

浅丘さんは「ボーイフレンドは30代から50代まで3人くらいいる」と言っていたというからすごいの一言ですね。