みなさん、こんにちは。

今回は女優の奈良岡朋子さんについて取り上げていきたいと思います。

※2023年3月31日追記しました

奈良岡さんが死去したことが報じられました。享年93歳でした。

この記事では奈良岡朋子さんについて

 

・結婚相手の夫(旦那)は誰?

・子供(娘,息子)はいるの?

・奈良岡朋子の家族構成は?

・若い頃の経歴は?

 

こういった内容で書いていきたいと思います。

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奈良岡朋子さんが死去

 

女優の奈良岡朋子さんが亡くなっていたことが「劇団民藝」の公式HPで発表されました。

 

 

公式HPによると奈良岡さんが亡くなったのは3月23日でした。

死因となった病気は肺炎であり、東京都内の病院にて93歳で亡くなったということです。

 

奈良岡朋子さんは生前にお別れのコメントを残していたそうです。

その文章がこちらです。

 

新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅立ちは何やら心が弾みます。向こうへ着いたらすぐに宇野(重吉)さんを訪ねます。もう一度あの厳しい演出を受けたいと長い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと長く生きて経験を積んできましたからね、昔のデコ(奈良岡さんの愛称)じゃないですよ。「デコ、おまえちっとましになったな」と言われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。杉村(春子)先生とももう一度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします。

両親にあいさつするのは2、3本舞台をやって少し落ち着いてからにします。それからは裕ちゃん(石原裕次郎さん)や和枝さん(美空ひばりさん)と思いっきり遊びます。

これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。

それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…。

 

遺族の希望で葬儀は近親者のみで執り行なったということです。

また、奈良岡さんの希望により「お別れの会」などの催しは行わないということです。

女優の大竹しのぶ(65)が30日までにインスタグラムを更新。23日に93歳で亡くなった劇団民藝代表で、女優の奈良岡朋子さんを追悼した。

 大竹は17歳のときにヒロインを務めたNHK連続テレビ小説「水色の時」で奈良岡さんと共演し、以来、「御一緒したのがご縁で可愛がっていただいていました。その後もずっと」と交流が続いていたという。「奈良岡さんにとって私はいつまでも危なかしい子どもの様で、いつも楽しそうに私が話す事を聞いていてくれていました」と振り返り、「やっとコロナが落ち着いたから会えるねって言っていたのに。寂しすぎます」と悔やんだ。

 「お一人で何でもして、面倒な事は大嫌いで、正義があり、信念があり、おしゃれで理知的で。とにかく素敵な方でした」と人柄をしのび、「私、頑張ります。奈良岡さんに、『しのぶ、良かったわよ』って言ってもらえる様に、これからも頑張ってゆきますね。宇野(重吉)先生と、ゆっくり芝居の話が出来ますね。ありがとう。ありがとうございました」と感謝の言葉で結んだ。

引用:日刊スポーツ

また1人昭和の俳優がこの世を去りましたね。

奈良岡朋子さんのご冥福を謹んでお祈り致します。

 

突然の訃報に、SNSやYahooニュースでは、悲しみの声が多く上がっています。

https://twitter.com/SATOMI328/status/1640977407938301953

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奈良岡朋子のプロフィールと経歴

プロフィール

【名前】:奈良岡朋子

【読み方】:ならおか ともこ

【出身地】:東京都文京区

【生年月日】:1929年12月1日

【年齢】:93歳

【身長】:156cm

【血液型】:AB型

【職業】:女優、声優、ナレーター

【デビュー】:1948年

【所属】:劇団民藝

 

奈良岡朋子の学歴

・東京府立第一高等女学校

・青森県立弘前中央高等学校

・女子美術大学洋画科

 

奈良岡さんは大学在学中の1948年に「民衆芸術劇場」の付属俳優養成所に1期生で入所。

その年の舞台「女子寮記」で女優としてデビューしています。

 

奈良岡さんの学生時代は戦争中だったため、通っていた学校が戦闘機の部品の工場にされてしまい、奈良岡さんも働いていたそうです。

 

1945年に戦争が激化したことで父の故郷である青森に疎開しています。そのため卒業した高校は青森県の高校なのです。

大学生の時に、滝沢修さん、宇野重吉さんが出演している映画を見て感動したことが役者の道に入るきっかけでした。

2人が出演していた公演のチラシに民衆芸術劇場付属俳優養成所の募集を見つけたことで、入所し役者としてのキャリアをスタートさせたのです。

 

1954年には「煉瓦女工」で初の主役として出演。石原裕次郎さんは最も尊敬している女優の名前として奈良岡朋子さんの名前を上げています。

 

奈良岡朋子さんの交友関係は非常に広く、大滝秀治石原裕次郎美空ひばり田宮二郎池内淳子吉永小百合高倉健大竹しのぶ三國連太郎森光子黒柳徹子といったそうそうたる面々がいます。

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結婚した夫や子供はいる?

 

奈良岡朋子さんの結婚した旦那さんや子供について調査しました。

奈良岡さんは生涯1度も結婚しておらず独身を貫いていたのです。

 

その理由として

「演劇以上にのめり込む男性に出会わなかったから結婚しなかった」

と話していたそうです。

 

常に役者としての自分のあり方を追求していた奈良岡朋子さん。

 

恋をするのは役の上だけで、外には引きずらない。次の役をしっかり演じるためにはニュートラルでないとだめ。だから私はいつもフリーでいたい

 

このように高いプロ意識を持って役者をしていたのです。

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奈良岡朋子さんの家族構成

奈良岡さんの家族は以下の通りです。

・父親:奈良岡正夫

・母親

・兄

・姪:丹野郁弓

奈良岡さんの父親は洋画家の奈良岡正夫さんです。

父親は1903年青森県生まれであり、40歳では初入選をした遅咲きの画家です。

その理由として若い頃に、青森から画家を目指して上京したのですが、その時は家族に連れ戻されてしまったそうです。

戦時中は従軍して戦争記録画を制作したが、戦前の作品は、ほとんどが所在不明となっている。戦後は、放牧されている牛や山羊、青森のねぶた、奥入瀬などを題材に描いた。感銘、影響を受けた本として、倉田百三の『出家とその弟子』を挙げている

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良岡正夫

 

美術大学に進んだのは父親の影響でいたが、演劇の道を選んだため、父親は娘さんから鉛筆を取り上げたのだそうです。

演劇の合間に片手間で絵を描くくらいなら、やめろという教えでした。

そこでした「二度と絵は描かない」という父親との約束は生涯守り通したそうです。

 

正夫さんは2004年に100歳で死去。

きょうだいはお兄さんがいるということで、結婚してお子さんがいるそうです。

 

奈良岡朋子さんの喪主を務めたのが兄の娘さんである「丹野郁弓(たんの・いくみ)」さん。

郁弓さんは劇団民藝の演出家を務めていた人物で、朋子さんとも縁深き人物でした。

 

丹野さんはもともと訳者として「劇団民藝」に研究生として入団しましたが、2004年から演出も手掛けるようになります。

『坐漁荘の人びと』で2007年には「読売演劇大賞 優秀演出家賞」を受賞しています。

 

母親についての情報は一切ありませんでした。

 

奈良岡朋子さんは現在まで東京都内のマンションに暮らしていました。

一人暮らしでしたが、同じマンションにはテレビプロデューサーの「石井ふく子」さんと女優「若尾文子」さんが住んでいました。

 

また女優の京マチ子さんも亡くなるまで暮らしていたそうです。

同じマンションに知人が多く住んでいたため、すぐに連絡をしたり困りごとの相談が出来たそうです。

 

またおかずが余ったら連絡して一緒に食べるなど、家族のような間柄だったそうです。

世間の反応

イラスト

橋田ファミリーでもあり、石井ファミリーでもあった奈良岡朋子さん、民藝で鍛えた演技は素晴らしかった。
奈良岡さんは声も良いから、ドラマのナレーションも多かったな。

引用:Yahooニュースコメントより

 

山岡さん、奈良岡さん、大好きでした
お芝居が、キュッと締まる感じがして・・・。

長い間、お疲れ様でした ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

引用:Yahooニュースコメントより

 

近所の市民会館に「奇跡の人」の上演のため来てくださいました。
奈良岡朋子さんがサリバン先生、ヘレンケラーは大竹しのぶさん
高校生だった私にとって忘れることのできない素晴らしい舞台でした。

ご冥福をお祈りいたします。

引用:Yahooニュースコメントより

 

落ち着いた声のナレーションが印象的でした。 失礼ながら、この年齢であったことは存じ上げておりませんでした。 新しく、あの声を聴くことができないのは、とてもさみしいです。

引用:Yahooニュースコメントより