医学者でiPS細胞研究所所長・教授でもある山中伸弥(やまなかしんや)教授は2018年1月12日に放送される『徹子の部屋』に出演することで話題になっていますね。
山中伸弥教授といえば2012年10月にノーベル生理学・医学賞を受賞したことで注目を集めましたね。
そんな山中伸弥教授の家族(嫁・娘)の情報まとめやうつ病になった過去について調べていきたいと思います。
今回は山中伸弥教授について書いていきます。
山中伸弥のプロフィール
【名前】:山中伸弥
【読み方】:やまなかしんや
【出身地】:大阪府東大阪市
【生年月日】:1962年9月4日
【年齢】:55歳(2018年1月現在)
【所属】:京都大学iPS細胞研究所
【称号】:京都市名誉市民、東大阪市名誉市民、奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授、広島大学特別栄誉教授、ロックフェラー大学名誉博士、香港大学名誉博士、香港中文大学名誉博士
【趣味】:マラソン、ゲーム、読書、音楽鑑賞、ギター、ベース
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生い立ち
山中伸弥さんは大阪府東大阪市で生まれ育ちました、
父親はミシンを作る町工場を経営していたそうです。
小学校時代から大学生になるまで奈良県で過ごしていたようで、
父親からは医者になることを勧められていたようです。
将来の進路に迷っていた山中伸弥さんでしたが、徳田虎雄さんの本を呼んだことで医者になることに決めたといいます。
そして神戸大学医学部医学科に進学した山中伸弥さんは、ラグビー部に所属しており、
運動神経も抜群だったみたいですね。
大学を卒業した山中伸弥さんは国立大阪病院整形外科の臨床研修医として勤務することになりました。
その中でリウマチの患者を担当することになったのですが、全身の関節が変形している姿にショックを受けたそうです。
ここで重症患者を少しでも助けたいと思った山中伸弥さんは研究者になることを決意しました。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所に博士研究員として留学するなど研究者としての一歩を踏み台した山中伸弥さんでしたが、
山中伸弥さんが研究していたIPS細胞の研究は当時医学に役立つ研究でないと批判される毎日だったそうです。
批判される毎日を送った山中伸弥さんは半うつ状態になってしまい、一時は研究者を辞めて整形外科医に転職しようと考えていたそうです。
しかし最後だと思い応募した奈良先端科学技術大学院大学で採用され、再びIPS細胞の研究が始まりました。
2003年には奈良先端科学技術大学院大学 遺伝子教育研究センターの教授に就任すると、
2004年にIPS細胞の開発に成功しました。
その後山中伸弥さんは日本とアメリカを行き来して研究に没頭しました。
そして2012年に『ノーベル生理学・医学賞』を受賞した山中伸弥さんは世間から一躍注目を集めることになりましたね。
そんな山中伸弥さんは2018年1月12日に放送される『徹子の部屋』に出演しますので、
気になった方はご覧になって観てください。
#山中伸弥 教授が、1月12日(金)正午からテレビ朝日で放送の「 #徹子の部屋 」に出演します。ぜひご覧ください! https://t.co/37OIx1Bzbn
— iPS細胞研究所 (@CiRA_KU_J) January 11, 2018
わーい!#山中伸弥#徹子の部屋 https://t.co/vAuw4kYZom
— 英語×科学=源 (@englishinscienc) January 11, 2018
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過去の受賞歴がすごい!
山中伸弥教授の過去の受賞歴をまとめてみたいと思います。
2008年 Shaw Prize in Life Science and Medicine 2008
2008年 Robert Koch Prize 2008
2009年 ガードナー国際賞
2009年 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
2010年 京都賞 先端技術部門
2010年 恩賜賞・日本学士院賞受賞
2011年 ウルフ賞医学部門
2012年 文化勲章
2012年 ノーベル生理学・医学賞引用:http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/research/yamanaka_master.html
ノーベル生理学・医学賞はもちろん有名ですが、その他にもこんなに受賞していたんですね!
また2013年には生命科学ブレイクスルー賞も受賞されていますね。
2016年には広島大学の特別栄誉教授に任命された山中伸弥さんの
今後の活躍にも期待したいですね。
うつ病になっていた?
輝かしい経歴をもっている山中伸弥教授ですが、
過去にはうつ病になっていたこともあるそうです。
山中伸弥さんはアメリカから帰国し日本でES細胞の研究を開始したのですが、
アメリカと日本の研究所の環境が全然違ったそうです。
アメリカでは研究用のマウスを世話をしてくれる人がいたそうですが、
日本ではいなかったようで自分でマウスの世話もしなければいけなかったみたいですね。
研究費用もアメリカに比べたらなかなか思った金額をもらえなかったそうです。
また当時は山中伸弥さんの研究内容に理解してくれる人が少なかったそうで、
同僚からは、
「やまちゅう、ネズミのES細胞を研究、NAT1とか知らないけど、その研究もいいけど、もうちょっと医学に関係することをした方が良いんじゃないか」
「医学部にいるんだったら、医学のためになることをした方が良いぞ」
と言われていたそうです。
山中伸弥さん自身も本当にこのままでいいのか?と疑問に思ってしまい、
うつ病に陥ってしまいました。
しかしアメリカのトムソンという先生が人間のES細胞を作り出すことに成功したお陰で
山中伸弥さんが行ってきた研究が注目されるようになったようです。
もしこの出来事が少しでも遅かったら山中伸弥さんはノーベル賞を受賞していなかったかもしれません、
山中伸弥さんにとって人生の転機となりましたね。
家族(妻・娘)の情報まとめ!
最後に山中伸弥教授の家族について調べていきたいと思います。
まずは山中伸弥さんの奥さんですが『山中知佳』という方です。
馴れ初めは中学高校の同級生だったようで、山中伸弥さんが神戸の大学を選んだのも奥さんと離れたくなかったからだそうです。
修学旅行では2人でサイクリングに出かけたせいで、集合時間に遅れたことで交際が発覚してしまったといいます。
こちらが山中知佳さんの画像になります。
山中知佳さんは関西医科大学を卒業すると、皮膚科医として働いており、
現在は大阪市にある医院で働いているそうです。
2人の間には2人の娘さんがいるようですね。
名前はわかりませんでしたが、顔画像はありましたね。
2人とも現在医者になるために、医学生となって医師の道に進んでいるそうです。
山中伸弥さんがここまでこれたのは家族の支えがあったそうで、
「やめたくなる、泣きたくなる20数年でした。家族の支えがなかったら研究という仕事は続けられなかった。あらためて家族に感謝です」
「家内も自分の仕事を中断して来てくれた。アメリカでは研究以外の時間ができて、子どもの成長をすぐ横で見られました。研究でいろいろあっても、 子どもの笑顔が支えだった」
と語っていました。
これからも家族と一緒に頑張っていってほしいですね!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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