【死因:難病】アントニオ猪木が死去 病気いつから?妻や子供,国籍は?

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こんにちは。

今日はアントニオ猪木さんについて書いていきたいと思います。

10月1日に猪木さんが自宅で亡くなったことが報道されました。

死因の病気はなんだったのでしょうか?

目次

アントニオ猪木死去の報道内容

今回の訃報について「スポニチ」では以下のように報じています。

 元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。

 1943年(昭和18年)生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。

 米国への武者修行、日本プロレスからの離脱、復帰、追放を経て、71年に女優の倍賞美津子と結婚(後に離婚)。72年に新日本プロレスを立ち上げ、その後プロレス全盛時代を築いた。76年6月のボクシング、世界ヘビー級王者・モハメド・アリとの「異種格闘技戦」は注目を浴び、世界中にテレビ中継された。

引用:スポニチ

10月1日にプロレス界のスーパースターアントニオ猪木さんが自宅で亡くなりました。

亡くなったのは1日の朝7時で79歳でした。

死因の病気は何だったんのでしょうか?

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死因となった病気はいつから?

アントニオ猪木さんの死因は分かっているのでしょうか?

猪木さんは心臓の難病を患っており、2021年1月から体調を崩し入院と退院を繰り返していました。

その難病とは「全身性アミロイドーシス」という難病です。

 

全身性アミロイドーシスとは

全身性アミロイドーシス(amyloidosis)は、線維構造をもつ蛋白質であるアミロイドが、全身臓器に沈着することによって機能障害を引き起こす一連の疾患群である。
アミロイドは、病理学的にアルカリコンゴ赤染色で橙赤色に染まり、偏光顕微鏡下で緑色の複屈折を示すものである。蛋白質が立体構造(コンフォメーション)を変化させてアミロイドとして凝集し疾患を引き起こすことから、コンフォメーション病の1つとして捉えられている。

この病気を患うと全身衰弱、貧血、消化器障害などを起こし、手足のしびれなどもある難病です。

この難病と闘いながら2018年には腰の激痛で手術を受け、2019年秋には心疾患で2ヶ月半の入院生活を送っていました。

 

2020年7月には病名を公表し2021年3月にはリハビリ専用病院に転院。

同年5月には腸捻転の疑いで緊急手術を受け、それ以降は車椅子生活を送っていました。

 

今年8月28日の「24時間テレビ」には車椅子で出演し、元気に1.2.3ダー!も披露していました。

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アントニオ猪木の嫁は?

アントニオ猪木さんはこれまでに4回の結婚を経験しています。

 

1964年

アメリカ人女性リンダさんと結婚

1971年

女優の倍賞美津子さんと結婚。

1989年

22歳年下の一般女性と結婚。

 

そして4回目の結婚は2017年2月に74歳の誕生日に結婚しています。

お相手は約30年にわたりビジネスパートナーとして猪木さんを支えてきた方で、16歳年下の橋本田鶴子さんでした。

ですが2019年8月に妻の田鶴子さんが永眠したことを発表しています。

 

 

アントニオ猪木さんの国籍は日本で神奈川県生まれです。

13歳でブラジルにわたっていることから、日系ブラジル人だと勘違いされていたそうです。

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アントニオ猪木さんの子供は?

アントニオ猪木さんの子供は何人いるのでしょうか?

調べてみると娘2人、息子が1人いることがわかりました。

1人目の妻リンダさんとの間に生まれた文子さん。

ですが文子さん8歳の時に小児ガンが原因で亡くなってしまいます。

 

2人目の妻倍賞美津子さんとの間に生まれたのが實子さんです。

猪木寛子名義で女優として活動しておりミュージカルアニーなどに出演しています。

1974年8月生まれの48歳です。

3人目の妻との間に生まれたのが息子の一成(かずなり)さんです。

一成さんはコロンビア大学に合格しています。芸能活動などは行っておらず、両親の離婚もあって現在は不明です。

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世間の反応

燃える闘魂アントニオ猪木。
中学時代からずっと憧れ続けた人生の師とも言える存在です。
弱かった自分。
悔しくて強くなりたかった。
そんな時見たのが猪木さんのリング上で諦めない姿。
こんな風になりたくて一生懸命身体を鍛えた。
腕力は強くなったけど、それだけじゃ足りない事教えてもらった。
真似して続ける事で次第に心も強くなってきた。
鍛え上げられた美しい肉体。
逆境にあっても諦めない強い心。
老てなお自分の全てを曝け出し、ファンから励まされる事も多かったと思うけど、何よりファンである自分がその姿に励まされました。
猪木さんのお陰で人生が充実したものになりました。
お陰でこれからもきっと強くいられると思います。
心より感謝いたします。
安らかにお休み下さい。

自分の中であまりに死とは対極にいる往年の大スターで信じたくないというのが今の心境です
危険を顧みず、一見無謀なことでさえ挑戦して道を切り開くその姿から勇気づけられたのはプロレスファンだけではないでしょう

未だコロナ禍が収束しない中、大病を患ってるのに24時間テレビに担ぎ出されていてとても心配していました
無理しすぎたのかな
番組作りも大切だと思うし、本人の強い意志で出演されたのかもしれないがいずれにしても配慮が足りなかったのではと思います

お悔やみ申し上げます

エンタだったプロレスを格闘技の領域まで挙げた人。異種格闘技戦でまさかのモハメドアリとまで真剣勝負で戦った。ボクシングvsレスリングというあまりに無茶な対決のため、勝利にこだわれば凡戦になってしまった。
そしてものすごい借金を背負い、新日本プロレスの社長の座を追われた。
ただ彼のスタイルは踏襲され、藤波長州から、前田高田のリングスまで全て彼の思いを受け継いだスタイルだった。
亡くなったのは非常に残念です。

引用:Yahooニュースコメント

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